« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月

2010年1月29日 (金)

モルモン教会の拙速人事

 モルモン教会は求道期間が極端に短いが、充分な訓練期間を与えず支部やワードの要職に就任することがある。

入信したその日の内に支部長会や監督会と呼ばれる、地域単位での最高意思決定機関の構成員となる。市区町村の議員や助役や収入役クラスの要職に就ける。

反対意見を表明する人など見たことがない。モルモン教会では、指導者層の提案は決定済みと同じであり、反対の意を表明すればどんな制裁処分が下るか恐ろしくて受け入れるしかない。

短い求道期間を経て入信したその日に、議員のような要職に就任させられても、本人には責任が重すぎる。それだけではない、カルト宗教と云えども宗教法人であり、宗教法人の要職者には守秘義務が発生し得る。

僧侶、医師、警察官、司法書士、牧師、神父、司祭、看護師等は個人情報を把握しやすい環境にある。モルモン教会には牧師も司祭もいないが、神学を学んでいない素人が聖職者となる。

有給、無給を理由に守秘義務を守らなくても問題なしと結論づけても、情報漏洩された本人は不愉快極まる。信頼して悩みや問題を打ち明け相談した内容が、教会内の多くの人に知れ渡る可能性も高くなる。

訓練期間など不要と言わんばかりだが、モルモン教会は逃げ道を事前に備えてある。

充分な訓練を受けていない要職者が情報漏洩したと云う事例がネット上で問題視されたが、詳細を投稿することは退会者でも躊躇われる。

退会者を人間のクズと見なす現役活発モルモンが、クズである退会者に劣るのは、白く塗られた墓と言わざるを得ない。

教団最高責任者である大管長でさえ、いかなるこの世の経験を問われないのだから、支部やワードの要職者が未熟な青二才であっても何ら不自然ではない。信仰箇条や教団独自の聖典解釈を、都合に合わせて繋ぎ合わせれば、一般信者を黙らせることが出来る。

拙速人事が原因で問題が生じても、要職者の言葉は管轄する範囲内での詔であるから、問題の多くは管理下の者のミスであり不信仰として責任転嫁もあり得る。

権威主義の脆弱性は、下層の者は上位の者に何も言えない。中間の指導者も上位の指導者に進言など出来ない。

拙速人事で問題が生じやすい要因は、責任と権限を与えて教団につなぎ止めると云う目的が、要職に就いたばかりの新会員には重すぎるだけでなく、目的を知ったときに大きな心の痛手を負う人がいるのも否定できない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月27日 (水)

モルモン教徒のトンデモスピーチ。これが真実の教会?失笑ものです。   

 モルモン教会に一度でも集った経験があれば必ず聴けるモルモン教徒のお決まりの言葉です。聖書を知らないに等しい自称真実の教会は、信者もモルモン毒に侵されて危険を冒しているにもかかわらず、それを唯一真の真実の教会であると結論づけます。

モルモン神は祟り神ですが、モルモン独自のトンデモ教義とマインドコントロールの影響で感覚が狂っているだけのことで、習慣性が強く徐々に心を蝕む『マイルドで甘美な言葉と雰囲気』と云う気付きにくい毒性も併せ持ってます。

モルモン教に耽溺していると自覚できる人は、居心地が悪くなり、看板に偽りありのキリスト教ではない独自のトンデモ宗教モルモン教だと判ってしまうのです。モルモン教≠キリスト教と判れば徹底抗戦を続けてでも去った方が身のためです。

本題に移ります。モルモン教徒のトンデモスピーチは身勝手な解釈と引用で構成される証の発表会です。構成より更生してもらいたいものです。

スピーチを依頼された人が壇上に立ちお決まりの挨拶でスピーチが始まります。特に未熟で若い熱血モルモン教徒は御都合主義丸出しですが、将来有望なカルト宗教モルモンに相応しい信者として称讃されます。呆れた青二才狂信モルモン教徒の狂気のスピーチの始まり始まり。

「私は会社の営業部に異動が決まった時、モルモンとして模範を示せると御霊を受けました。営業部の仕事は取引先を廻ったり、大きな仕事を決めるには、酒を酌み交わしながら相手をおだててご機嫌取りをしなくてはならないと上司や先輩が言ってました。

営業部に異動するまで、私は会社に着けば社外に出ることが殆どなく、定時に帰っていたので教会に奉仕できる時間が長くとれました。同僚や上司に誘われても『教会に奉仕したり責任があるのでそちらを優先します』と事前に言っておいたので特に問題はありませんでした。時々、しつこく上司にねばられて居酒屋に同僚達と行ったことがありますが、その時私はモルモンとして模範を示せました。

部長に酒を勧められましたが『私は教会員で、教会の戒めでお酒もコーヒーも紅茶も緑茶もウーロン茶も飲みません。部長の酌でも神様やイエス様より優先させることは出来ません』部長や同僚達は憤慨したり呆れたりしました。

怒りの収まらない部長や他の上司は、社内にクリスチャンは他にもいるが、そんな話は聞いたことがないと言われたので、モルモンが唯一真の真実の教会で他は全て間違っていると説明しました。その内容を下記に記します。

イエス様はこう言われてます。「私より妻を愛する者は私に相応しくない、私より父または母を愛する者は私に相応しくない」。妻や両親と会社を比べれば、会社より妻や両親を優先するのはノンクリスチャンでも異論はないでしょう。

私は唯一真の教会の信者でありイエス様の教えに忠実な選民です。妻や両親と比べたら会社など取るに足らないのです。社内のクリスチャンと称する人達を、私はクリスチャンとは認めません。愚にも付かぬ社内の付き合いなど『誘惑の多い状況下』に居ることになり、イエス様の教えに反します。忌まわしい状況下にいて、気にもしない他のクリスチャンは自称クリスチャンに過ぎません」。

社内のクリスチャンと称する人達は憤慨しましたが、私の語った言葉が真理である証拠は短い言葉で立証されました。「真理は刺し貫く」

憤慨し反論したのは、不真実を突かれたので弁解も弁明も出来なくなり、それでも頑なにモルモンを認めることが出来ない不浄な教えに蝕まれているからです。

不浄な者でありながらクリスチャンと称する人達のこの世的な陰謀が私の正しさを、より鮮明にするチャンスが来ました。営業部への異動です。

営業部に異動して3ヶ月ほど経った頃、営業部長に同行するよう依頼され、得意先の専務と会議室で話し合いが始まり、秘所が私の目の前にICED COFFEEを出したので、私がモルモンであることを告げ断りました。

営業部長も得意先の専務も、私の『刺し貫く真理の言葉』に不快感を示し、得意先の専務の口から「この件はなかったことにする」と不浄なこの世的な人間らしい言葉で私と営業部長を追い返しました。

会社に戻ってから私は、コーヒー如きで大きな商談をダメにしたと不当に咎められたので、モルモンが真実の教会であり、正しい教えに従った結果、憤慨し断るような得意先の専務に問題があると営業部員の面前で証をしました。

その翌週に社長室に呼び出され、咎められたので、営業部員の面前でしたように社長室で証を述べるチャンスが来ました。私は真理の言葉で故意に刺し貫くつもりはなくても、不浄な者には『刺し貫く不快な言葉』であり不浄な者の怒りを買いました。

会社を選ぶかコーヒーや茶如きを断って退職するか、選べと言われたのでモルモンとして真理を選び強く正しき鉄の棒を選びました。

真理であるこの教会の教えを実践されては困ると云うのは、不浄な人間の集団である普通の企業の証明です。

今は無職ですが、この教会が真実でありモルモン書が神様の御言葉であると証します」

お決まりの締めの言葉でスピーチが終わり、このスピーチの受けが良く、気をよくした本人も、称讃されている様子を見た人もこの類の信仰生活を倣う者となります。

客観視すれば、どこが真実性の証明なのか?疑問だらけです。

御霊が降った、聖霊が降ったとか聴衆は口にしますが、精神的な高揚を混同または勘違いしているのです。

実際には、混同ではなく、圧倒的割合でマインドコントロールを施され勘違いしてます。

理解しがたくても、このような出来事が彼等には日常であり、誇りと誉れとなっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月23日 (土)

誇らしげなモルモン教徒 (カルト宗教の自覚なし)

 ここまで誇らしげに唯一真の教会を語るモルモン教徒は流石はカルト宗教です。不都合な真実には目を向けず、モルモン教独自の経典自慢や解説をネット上でも繰り広げ不愉快極まる。

教義も活動も矛盾だらけですが、それでも自信たっぷりのモルモン教徒は自称預言者である最高幹部の言葉を詔と信じて疑いません。疑問を抱いたら信仰不足と思い込むよう教育されたカルト宗教信者特有の、無理な辻褄合わせと自責に努めます。

こうしなければカルト宗教モルモン教は存続が危ぶまれるので、カルト宗教の基本であるマインドコントロールが如何なるものか解ります。教団上層部の詔を鵜呑みに出来ない尋常な機能は忌むべき機能です。理由も根拠も不要なのが盲信だとは思わないのもカルト宗教に欠かせません。

こんな矛盾に苦しみ悩む信者の一部は、教団の真実性を疑いだし、真実か否か調べて真実ではないとの結論に至り、教団から離れていきます。あっさりと教団を離脱する人もいれば、教団から離脱する際に祟り神と教え込まれたので、キリストの言う神の祟りや天罰や呪いを怖れて尻込みする人もいます。

旧約聖書の世界観や神観、それも反抗的で反社会的な古代イスラエルの民が受けた災いと同じ様な恐ろしい災いが離脱者に降るとでも言うのでしょうか?。災いや呪いが下ると思い込んでもらわなければ、教団存続に支障を来すので律法的な教義を付け加え、反した者には刑法犯のように恐ろしい裁きが下されるのがキリスト教であると思い込ませているに過ぎないのです。

真理は自由を得させるのはカルト宗教モルモンにとり不都合な教えのはずですが、すり替えや置き換えに長けた教祖(小説家 ジョセフ・スミス)の著書であるモルモン書(経)や教義と誓約などに見られる、文才が厭世的状況に陥っている人に受け入れられ加筆修正され、小説から経典に格上げされた宗教的要素の濃い小説だと解れば矛盾していて当然と納得できます。

小説が基になった教義を信じる教団が唯一真を標榜しても、古代と同じ組織形態やイエス・キリストが再組織された完全なる教会と言っても自称しているに過ぎません。モルモン教勧誘員と問答しても、他のクリスチャンと違い宣教師(勧誘員)や伝道師とは思えないモルモン教独自の偏狂的返答が返ってくるだけです。拙速伝道とも言えない方向性もキリスト教から掛け離れた人員(顧客)確保目的の勧誘を伝道と思い込んでいるのも唯一真の教会ではなくマインドコントロールされた素人集団を自ら証してます。

マインドコントロールが解ければ教義の矛盾や過ちに気付きますが、聖書は大した信憑性もなく、モルモン書が補足説明しなければならないほど改竄や欠落だらけになっているとモルモン教では説いています。参考資料や聖句説明を信者や求道者に配布しますが、区切り方に不自然さがありますが、教団側に好都合な繋ぎ合わせをしながら、配布された資料や聖句説明を用いて、初期段階から信者や求道者の視野を狭めておきます。

モルモン教に疑問を抱いても信者の知識がモルモン流に偏っているので、モルモン教徒聖書的な考えの相違を見出しにくく、聖書そのものを学び直さなければ感情論と見なされます。彼等モルモン教徒も聖霊との交わりや聖霊の訪れを、精神的高揚と混同して『モルモン書は神の言葉で、モルモン教会は唯一真の教会です』と声高に主張するのだから、感情論で教団を離れる者を見下したところで五十歩百歩か目くそ鼻くそを笑うと云った具合です。

カルト宗教モルモンも他のキリスト教系カルト教団も、条件付きの人間の愛(世の標準以下でビジネスライク)を神の愛と称して売り物にしてます。近代に始まった訳ではなく、パウロの時代にも同様の人達がいて警戒されてました。

御言葉に独自の要素を付け加え、神の愛や教えに人間の教えや哲学を混ぜて教える御言葉産業は古くから存在し、そちらになびく人も少なくないことも新訳聖書に記されてます。

加工され歪められた教えを真実と思い込んでいる人達は古代から存在し、モルモンも他のカルト教団も信者にカルトの自覚など無いのです。

JWもモルモンも自分達のみが正しいと主張して止まない独自性が特徴のキリスト教を名乗るカルトです。雰囲気は心を麻痺させ後に破壊するための特殊なカルト用催眠剤です。

| | コメント (21) | トラックバック (0)

2010年1月20日 (水)

モルモン教勧誘員と遊びましょう!

 カルト宗教は伝道と称する勧誘にとても熱心です。モルモン教会の勧誘員はお馴染みの格好で自転車に乗って戸別訪問してます。英会話も表向きはボランティアで英語を教えてますが、最終目標は勧誘です。

もし、モルモン教会の勧誘が訪問してきたら聖書に関する質問をしてみましょう。ただし、込み入った話を外国人勧誘員とするのは言葉の問題があるので日本人勧誘員に限定します(語学の堪能な方は別です)。

彼等はモルモン教の宣教師と言いますが、教会では○○長老と呼ばれます。よく見かけるのは専任宣教師ですが、客観視すれば専任勧誘員が適した呼び方です。勧誘活動は専任勧誘員に限らず一般会員も勧誘活動に熱心で、職場や近隣住民にも勧誘してきます。

無碍に断るのはもったいないのでモルモン教勧誘員と遊んでみましょう!。遊びといっても、彼等に聖書に基づく質問をして答えてくれるか、モルモン書を使わずに疑問を解いてくれるか質問する辻問答です。

専任勧誘員より長年モルモン教会に集っている熱心な一般会員の方が知識で勝っていることも充分あり得ますが、聖書的な考えを期待しても裏切られます。

教義の矛盾点を突いてみましょう。黒人はカインの子孫でしょうか?。人種差別をしていると思われないよう、モルモン教徒が余計な気遣いをするかも知れませんが、大抵はそうだと答えます。

カインの子孫はノアの時代に起きた洪水で途絶えているはずですが、ノアの子供達の一部にカインの血が混じっているとか言うかも知れません。

Q モルモンだけが真実で他は救いに至らないのは何故か?。

A モルモンはイエス・キリストが組織された原始キリスト教会と同じ組織であり、今なお預言者がいて導いている。後略

神権とか聞き慣れない言葉が次々とモルモン教徒の口から出てきますが、質問すると、根拠はどこにあるのか困惑するほど独自の論理を語ってくれます。

モルモン教徒とこんな遣り取りをしてもラチがあきませんが、矛盾を自ら曝していることに気付かず自信に満ちた様子で語ってくれます。

マインドコントロールが効いているのでモルモン教徒の信念は強固で頑なで強情です。

JWはモルモンより厄介だと聞いてますが、聖書が共通でないのでモルモン以上に噛み合わなかった。基本的互換性もなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月19日 (火)

カルト宗教の特徴① 解説にモルモン教を用います。

 危険なカルト(セクト)宗教が衰えず、次々と信者を獲得してますが、多くの人がどうしてカルト宗教モルモンやJW(エホバの証人)などに入信するのか疑問に思われるでしょう。

神学と心理学を併せて、キリスト教を名乗るこれらのカルト宗教を覗くと憤りを感じます。それだけ巧妙な勧誘をしているのです。

勧誘方法が巧みなのは元信者が情報公開して知られるようになりましたが、教義も聖書的な考えから遠く離れた律法主義です。

甘言を多用して独自の経典を重点的に求道者に教え、聖書は補助的な書物として参考書にも及ばない扱いですが、これ自体が反聖書的な教義に気付かせない為の手法です。

聖書に記されていない独自の戒律が多数存在し、その戒律が救いに欠かせないと教えますが、キリスト教より律法重視のユダヤ教に似た内容です。

イエス・キリストは律法の完成者を救うために遣わされてはいませんが、モルモンでは戒律を全うして初めて救いの恩恵に与れるとされています。

戒律を全う出来なければ救われないとの思い込みから、自分を鞭打ち罪悪感に悩まされ、自分を責めて追い詰めてしまう信者が大勢おります。

十字架の贖いは全ての人のためと説きながら戒律を全うした者に限定されるのが律法主義の特徴ですが、福音と旧約聖書時代の律法主義が、律法重視のアンバランスな状態で存在し信者は疑問を抱かないよう教育されていきます。

「真理は自由を得させる」とありますが、自由を得るには厳しい戒律が必用でしょうか?。飲食物を規制され嗜好品も規制されてます。新訳聖書にはこれらを禁止すべきでないと書かれてます。

法に触れる薬物や泥酔や依存症レベルの飲酒は論外ですが、口に入るものが人を汚すのでなく口から出る言葉が人を汚し傷付けます。

イエス・キリストの再降臨を待ち望んでいて再降臨からの1000年を福千年とし、新しいエルサレムがアメリカ合衆国のインディペンデンスに築かれるとモルモン独自の経典(教義と誓約)に書かれてます。

幸福な1000年ですが、目に見える形での神の御国は存在しないと聖書に書かれてます。永遠の都は地上に存在しないとも書かれてます。

モルモンは数多くの神殿を建設し、そこで様々な儀式を執り行い、真実の福音と称するモルモン教(または初期の純粋な福音)を受け容れるチャンスを得ることなく世を去った人達に代わり、条件を満たした信者による身代わりのバプテスマや、死者の為の儀式が執り行われます。

今では記録のないアダムの時代まで遡って身代わりの儀式を執り行える日が来るとモルモン教徒は言います。

真実の福音はイエス・キリストが昇天された頃の純粋な福音であり、これを全て持っているのがモルモン教会であり、地上ではモルモン教会のみが唯一真で、イエス・キリストが組織され回復された教会であるとモルモン教会は言います。

福音は厳格で厳しい戒律が特徴であり受け入れがたく全うできる人も限られるもののようですが、聖書には付け加えることも削除することもしてはならないと記されてます。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2010年1月17日 (日)

金を払って軍隊に加わり殉死を望むが如きがクリスチャン?

 カルトや異端と呼ばれる教団以外でも、反聖書的な考えを持ち自分を欺き神をも冒涜しているクリスチャンには呆れてしまう。

清さを保つに隔絶された生活が必用なのか?無知で終わるが独りよがりのパリサイ人と同じ志の祈りでも捧げるが良かろう。

自分が神の一人子であり救い主なら他人を贖えるが、洗礼や悔い改めを必用とする人間がイエス・キリストに等しいと主張しているかのような勘違いクリスチャンは思考回路が故障している。

どの教団にも所属せず特定の宗教的信仰を持たない人が、はるかにまともで心身共に健やかなのは何故か?聖書をねじ曲げて解釈し苦しみを経験し、苦しみによって神の御座に近づいたのか?。

性的サディストやマゾヒスト相手の商売があるが、イエスの受難を体験しようとした思考回路の壊れたクリスチャンが起源と云われるが、今では容易に納得できる。

こんなに頭の混乱した輩がキリスト者の中に存在し特殊な風俗産業の礎となり、風俗産業と無関係な生活を送りつつ、様々な苦しみを甘受してさらなる苦しみを苦しみを求めて苦しみもだえ贖う側に立とうとする。

特殊な風俗産業の礎を築いた人達の思想を継承し、反聖書的な考えを持ちつつイエス・キリストの弟子を名乗り、独自の教義と価値観を付加した教えを告げ広める。

反社会的な人々やカルト(セクト)が改心し、正統派や伝統的を謳うクリスチャンが道を誤る。他人の代わりに罪も病苦も負うことが一信徒に出来るのか!。

初期の聖徒達は加わろうとしない者立ちにも尊敬されたが、初期の聖徒達はこんな狂気じみたことはしなかった。

偽典や外典の矛盾なら納得できるが、聖書のみの正統派や伝統的教会の信徒が苦行や自分の命を削り贖い預金を天に貯えているつもり?。犠牲の度合いと祝福のバランスが変化するのは、信徒と天の間に為替の変動があり仕方ない。

献身し献金し多くの時間と労力を捧げたが報いが少ないと疑問を抱き他の信徒や牧師や神父に理由を尋ねても「天の貨幣と人間の貨幣のレートが人間貨幣安になっているので仕方がない、天の貨幣安になったら交換すれば儲かる」とは言わない。

ここまで明確に思い込んでいる聖職者がいたら信徒など集まらない。譬えるならこんな感じだと言うのであって実際に天と人間界の間に為替など存在しない。

実際に献身を要求する教会や教団があるが神は人間に養ってもらう必用はなく、最初から全て神に造られ存在し、存続するもしないも神の御手の内にある。

神に進言する祈りを常とし、時には奨励するクリスチャンもいるが人間が神に何を教え諭すのか?。方針を決めるのに迷いが生じ正しい方向性を神に問うことはあっても全知全能の神に進言してどうなるのか?。

神の御心を変える力があるのか、誰が神を裁けるのか?。全世界の民を治められるほどの政治的実力者が地上では無敵の軍隊を有しても神の御前には無力である。神の御心を変えることは出来なくても、民が統治者を支持しなくなれば、恐怖政治で統治する者でも民が反旗を掲げて統治者を倒すことは出来る。

投票で地上の権威権力を与えられても、次の選挙で落ちれば失業者にもなれる。地上での権威は証人や指示が必用でそれらが得られなければ権威者でも権力者でもない。

それでも神に進言し教え諭すキリスト者はどんな聖書解釈をしているのか?、苦しみは理由を問わずイエスの受難を共有し、神の右に座する者に近づくための近道と勘違いしているとしか見えない。

バラムの狂気を超えた猟奇的志向(嗜好)が表面化すれば尋常な神経の持ち主の目には『精神に異常を来した』と映る。これをクリスチャンのあるべき信仰の形であり救いに近づく方法であると説いたらクリスチャン=狂気集団と見なされて当然である。

病気や怪我が自分や他者を贖う手段と言うのなら、その人に医療は不要で治療は返って救いを妨げる躓きとなる。

キリスト教普及の大きな妨げの一つは、狂気じみた解釈を実践し、世の光として高きところで晒している歪んだ狂信者の存在も否めない。そんな行為を福音の実践として晒すより、〇〇教団所属と云う肩書きも返納しサディストやマゾヒスト相手の商売でもした方がキリスト教諸教会が受けるダメージが無くて済む。

どぎつい表現をすればこうなるが、近いことをしているクリスチャンは少なくない。病者が救いを求めて教会に来るから病者の割合が高いのではなく、入信したが為に誤った教えを施され伝道を妨げる聳え立つ山脈となる。

狂信者の座する高い山の頂から見る一般人やエセでないクリスチャンは惨めであろうし蔑んでもくれる。あざ笑ってもくれるが狂気の世界を聖なる世界とは思えない。あざ笑うことななくても哀れんではくれる。

大金を払って軍隊に加わり聖戦を戦っているつもりの人達は、神に進言し教え諭すのかと思える発言や祈りが日常茶飯事で理解しがたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月13日 (水)

JWとモルモン教

 秘密のベールに覆われたJWは教義データが手元にないので突きようがない。その点ではモルモンの太っ腹な体質と云うか財源に恵まれた教団は、豪華な本を無償でプレゼントしてくれるぶんデータを集めやすい。

JWやモルモンを脱会した人達が教団の特徴をネット上で公開している。新世界約聖書は一般書店で入手可能か不可能かも判らない。

モルモンは再降臨を待ち望んでいるが、JWは既にイエス・キリストは再降臨していて福千年に突入していると主張している。もし、この相違点をモルモン教徒とJW信者が議論したらどうなるのか?。

JWの勧誘員に質問するのは、しつこい勧誘員を手招きするのと同じで煩わしい厄介者を門前払いするのに後々苦労することに繋がるから止めておく。

新世界約聖書はブックオフでも見かけない、門外不出の預言でも書いてあるのか?。JBSの聖書と照らし合わせて読まれたら困ることでも書いてあるのか?。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 2日 (土)

ネガティブ発想の友人

 ネガティブ発想の友人は隠れた努力を認めつつも、成功している人も成功に向かって成功への道を進んでいる者も嫌いらしい。口を開けば「気に入らない、頭に来る、富裕者には出来ることだが・・・」

閉鎖的で孤立してしまう原因は何か判っていながら思考パターンは変わらない。負の連鎖に気付いてもなお改める気配はない。

常識的契約に基づく治療に彼は応じきれない。

独自の論理を実践し投獄されれば目が覚めるかと言えば答えは否である。治療を優先すれば状況は好転する。

気楽ではあるが、充足感のない単調な生活に本人は飽きている。

労使の関係に引き込める者なら、最低賃金法から除外し、賠償責任も本人に負わせた上で雇用して普通の職能が如何なるものか、屈辱を伴ってでも再確認して欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »